「Radi-Aid」が投げかける疑問

「Radi-Aid」blows your mind with warm breeze

 

ノルウェーの国際協力基金SAIHが展開する「ラディ・エイド(Radi-Aid)」キャンペーン。「アフリカの人々が暖房機(ラディエーター)を極寒に苦しむノルウェーの人々に寄付する」という設定で「Africa for Norway」(Youtube)というパロディー映像を作成したのが始まりだ。開発学や途上国支援でありがちな、かわいそうな人(持たざる人)を幸せな人(持ちうる人)が助けるというシチュエーションは同じだが、何をして彼らを分けているのかといった点に疑問を投げかける面白いアプローチだと感じる。

 

彼らは続編として、チャリティーの紹介ビデオにありがちな表現とその裏側を見せる内容のパロディービデオ「Let’s save Africa!」(Youtube)を製作した。これは、支援対象が必ずしも支援者が思い描くような、例えば「自助能力がない」「ピュアで多面性がない」「与えたものは何だろうが必ず受け取る」といった単純な存在ではなく、自らと同じように多様な面を持つ人間であることを、ブラックユーモアを交えて伝えている。先進国のご都合主義で作るイメージを払拭すべきだという主張が込められている。

 

もちろん、パロディーである以上、これも誇張表現であることに変わりはない。完全に客観的に現状を伝えるメディアなどない。それぞれが主観的に、イデオロギーに則ってメッセージ性を込め、効果的に伝わるように見せているだけだ。これが真実ではないし、全くの嘘でもない。あくまで、「発展途上国」とされる国々をめぐるメディア表現と、それにより植え付けられたステレオタイプに警鐘を鳴らす存在である。

 

SAIHは現在、チャリティー団体のプロモーション動画を見比べて善し悪しを検証するコンテスト「Radi-Aid Award」を毎年開催している。当事者には耳の痛いコンテストだろうが、批評の内容は考えさせられるものばかりで質が高い。日本ではここまで踏み込んで議論されることがないため、どうしてもチャリティーのアピール方法が従来の一辺倒なものになり、訴える内容が偽善や表面的に聞こえ、そして一般大衆との乖離につながるとみる。

 

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The protests on 21st Jan.

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Picture above: The quite obvious protest held worldwide on 21st of January, the new U.S. president Trump.

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Picture above: The less obvious and could be unknown protest held some part of the world on 21st of January, the long-lasting Zimbabwean president of Mugabe.

 

Because the U.S. and its president have more influence toward the rest of the world, it is quite understandable that the new and troublesome one gets a lot of attention. However, for some people, the other one have more influence toward their life, right, and everything else.

I thought I was lucky to be able to witness both protests, or more like campaigns, to remind that the new U.S. president is not the only big issue the rest of the world should be paying attention to, though pretty much all the news media are busy catching up with the latest “tweets” and “comments” made quite roughly.

Everyday Sexismエブリデイ・セクシズム-日々の中で埋もれがちなセクハラ問題-

%e5%86%99%e7%9c%9f-2016-10-11-18-24-14It is a quite difficult issue…me saying like this sounds like as if it is totally someone else’s story. But, it is not. Being born as a woman, anyone would have had the experience of being sexually harassed or teased or verbally insulted.

難しい問題だ、の一言で片づけてしまうと、全く持って他人事のように聞こえる。だが、そうじゃない。女性として生まれ育ってきた人は誰しも、セクハラや女であることを理由とするからかいや嫌がらせを受けたことはあるだろう。

Laura Bates, a British woman who is the author of two books “Everyday Sexism” and “Girl’s UP”, has also experienced several annoying moments which drove her to start the “Everyday Sexism Project.” This is an online platform where anyone, male or female, can write about their terrible experience related to the sexism to let the world know that the sexism exists in their society. Even though each story might look so small that it could be easily ignored, when being put in MASS, it will show its existence. That is an archive of what everyone faces in their life, and the baseline to start the discussion, or just shout it out to make you feel better for a bit.

英国人女性のローラ・ベイツ氏は自身の体験をきっかけに、「エブリデイ・セクシズム・プロジェクト」を立ち上げる。これは、日々の中で埋もれがちな性的嫌がらせの体験談をインターネット上で共有するプラットフォームで、この問題を1つ1つのささいな出来事としてではなく、大きな課題として捉える目的がある。もちろん男女関係なく参加でき、男性が受けた被害も議論に向けて共有できる。体験について話すことで気持ちを楽にさせること自体も狙いであり、集まった事例を元に議論を進めるためのアーカイブになる。

She argues that some kind of words and acts in sexist way will not be discussed until the tragedy happens. The society should understand that each issue is connected and we better not separate problems as “these are girl’s/ boy’s issue.” The discussion must be done among as all. “It is people’s standing against prejudice.”

ベイツ氏は、性的嫌がらせの言動は本当の事件に発展するまで議論対象にならない現状があると指摘。それぞれの事象は繋がっており、女性/男性の問題として分けるのではなく、社会全体として考えるべきと主張する。「みんなが偏見に対して立ち上がること」、というのが彼女の論点だ。

She lists the possible causes of sexism such as objectification of women, online porn seen by younger teenagers, no proper lessons from school about gender, sex, LGBT and so forth. In other words, the media’s (here the media does not necessarily mean MASS MEDIA but any kinds of verbal and visual information that surrounds people in the society) rather distorted representation of gender and the lack of opportunity to fix (or balance) it justifies the bullying. The accusation toward victims not to take seriously because it is “joke” and the enforcement toward victims to accept it as the joke leads to one’s giving up in this battle and ends up in the isolation of the victim because no one takes it seriously…

彼女は男性の女性軽視に対し、考えられる原因として、「女性をモノとして見る傾向」「若年層の目に触れやすいオンラインポルノ」「教育機関での性やジェンダー、LGBTなどに関する確立された授業のなさ」などを列挙する。つまり、メディア(ここで言うメディアは単にマスメディアだけではなく、周囲の環境が作り上げる視覚・聴覚的情報なども指す)の偏った表象に加え、それを正す(もしくはバランス感覚を養う)教育機会の欠如が、嫌がらせの正当化につながる。“ジョーク”だから深く考えるなという主張。それくらいは冗談として受け止めろという強制。仕方ないというあきらめ。真剣にとらえてくれる人のいなさが余計に被害者の孤立につながる…。

The hall in LSE used for her lecture, which accommodates around 400 people, was totally packed with audiences, and 85 to 90% were women. What it reflects is that the gender problems are still mostly considered the problem women faces and women should deal with, instead of both men and women.

彼女の講演で使われたLSEの講堂は400人が収容可能だったが、それが完全に埋まるほどの盛況ぶりだった。ただ、聴講者の85~90%が女性。つまり結局のところ、ジェンダー問題は男女で一緒に解決してゆく問題ではなく、女性単体で取り組む問題としての認識が強いのだ。

U.S. President Obama and London Mayor Khan are the iconic political leaders who clarified their stance toward encouraging women to be involved in the society and pursue the same right as men. Their passionate voices are strong and convincing because they both have daughters. Because it is the voice of fathers simply hoping good future for their children, it gets genuine. Yes it could be just a part of their political performance as it has great effect to gain support from audiences, GOOD amount of audiences. If there is a politician or an economic leader with similar popularity and similar belief, with thoughtful policy and passion, the situation will get much better in Japan as well.

オバマ米大統領とカーン・ロンドン市長の2人は女性の権利向上や社会参加を促す象徴的なリーダーとしても知られるが、「女の子を持つ父親」であることが彼らの行動の根底にある。だから主張には力強さと説得力があり、真の声として大衆に響くのだろう。もちろん、現代において女性の権利向上を信条にするのは政治的パフォーマンスとして有用というのもあるだろうが、それでも無下にできない割合の大衆がその方向性を支持していることは確かだ。日本においても、表面的なコメントや浅い政策だけではなく、心から主張できる政治的・経済的リーダーがいれば、けん引力を発揮して動きの加速につながるかもしれない。

http://everydaysexism.com/

Embercombe-大自然とヒップスターたち?

%e5%86%99%e7%9c%9f-2016-11-06-8-51-30大学時代の友人で昔からユニークな行動を取ることで有名な「HIKARI」。彼女が3カ月間の日程でボランティアしている英国南西部エクセターの山奥の環境・サステナビリティ系団体、Embercombeに週末を利用して3泊4日(結果的に)滞在した。

 

と言っても、私はボランティアらしいボランティアをしてはおらず、一番近い言葉を選ぶなら「手伝い込み野外体験」。作業の手伝いは1日(主に芋洗いとゲルの清掃・ベッドメーキング)のみで、食事はきっちり日曜の朝食のポリッジまで平らげたので、ギブよりテイクの方が多かったかも(せめて最後に無農薬栽培のネギを購入すべきだった。3時間ネギ背負って電車移動するのはちょっと遠慮してしまったけど)。

 

仕事終了後に電車に飛び乗り、到着直後に満点の星空に魅了され、暗闇の中で1つ光る白色のゲル(カバーが白くて中の光が漏れていた)に笑い、HIKARIの火おこし技術を眺め、想像以上に暖かいゲルと想定外の羽毛布団に包まれて眠る…。思いのほか居心地がよく、他のボランティアやスタッフも総じて親しみやすかった。

 

この体験をうまく表現するなら何だろう?特に感じたことを挙げるとするならば…。

 

◆英国人らしからぬ英国人

英国人はどことなく日本人に似ていると感じてきた。互いに島国で、大陸側との歴史は複雑、天気・気候の話をよくする、お茶好き、すみません(sorry)をよく言う、本音と建て前の概念も婉曲的表現や皮肉なんかに見受けられる、謙遜を美徳とするけれどプライド高い、などなど。特にロンドンにいると“ザ・イギリス人”と知り合い、友達になるのは難しい。以前に米国人移民が地下鉄での会話のきっかけにと「チューブ・トーク」というバッジを作ったが、ほとんど受け取る人がいないどころか、ネット上では大ヒンシュク。このアイデアを聞いた2割が賛成、8割が大反対という結果となり、反対派のバッジが生まれる始末にまでなった。これほどにまで、見知らぬ人や他者に安易に心を開かないのも両国人が似ていると思う所以だが、Embercombeのスタッフにはこの傾向がほとんど見られなかった。みんな気軽に会話してくれたし、ざっくばらんな質問にも答えてくれた(職業病で質問ばかりしていた)。朝のミーティングの一環だが、今の気分や気持ちを全員の前で話すスタッフたちに一種の感心と驚きを感じた(疲れていると言う人が案外いたけど)。ある意味、英国人らしくない。多分、一般的な英国人らしくないからここにいるのかもしれない。個人的には面白い話がたくさん聞けて満足だったけど。

 

◆日本の当たり前と欧米の違和感

Embercombeが広大な自然の中で築き上げた環境は、サステナビリティや簡素な暮らしを追求するためにオーガニック製品のみをそろえ、無農薬栽培の野菜を中心に食生活し、時々鶏や卵を食べ、廃棄物を減らそうと残り物をアレンジし、台所やシャワーでは節水し、ゲルやキャラバンを住居とし、マッチと薪、暖炉で暖を取り、コンポストトイレも用意する…といったもの。これらは日本人からするとあまり新鮮な概念ではない。オーガニックはともかく、もったいないから残さず食べる、廃棄物を減らす、節約する、簡素さはわびさびに垣間見えるし、汲み取り式トイレも存在したし、我が家にはコンポストも昔あった(生ごみ入れるやつ)。しかし、欧米からするとたぶん大きな変化である。私は昔、米国のカフェテリアや家庭科の授業で米国人がどれだけ食を無駄にするか、軽視するかを見たことがある。校舎の清掃なんてあり得ないし、それら奉仕活動を通じて得られる「日常の小さな物事に対する感謝」なんてものはなかった。「人を育てる環境」というのがこの団体の目指すところの1つらしいが、英国人は当地での経験を通じてどう育つのだろう?どう変化するのだろうか?

 

◆押しつけのなさ

担当の肉体労働はともかく、それ以外は「押しつけ」が全くなかった。気持ちを話す場でも、話さない人はいたし、文化的アクティビティーはあるが参加は自由とのこと。週末はフリーで、車を持つ人は外食やドライブもしたし、HIKARIとは羊のローストもシェアした。フリーランスの仕事のために数週間空けるボランティアもいた。特定のイデオロギーを持っているのにそれを押し付けないのは、組織の目的達成には障害になるだろうが、参加者の自主性を尊重できる。はだしのまま歩くのも、沼で泳ぐのも、夜空をひたすら眺めるのも、自由(ちなみに私が行ったのは夜空をひたすら眺める、のみ)。他人を気にすることも行動を制限することもなく、「自分の時間を持つ」ことがとても容易だった。選択は全て、自らを満たすためのものだった。

 

◆「ヒップスター」たち?

HIKARIはヒップスターのようだと、私は最初に表現した。私の認識する意味合いでは、「世俗的な考えや普通さを越えて、流行や信条などを元に個性的に行動する人」かな。ただ、元となるヒッピーの概念はとても複雑で、個人それぞれに同じ表現は当てはまらない。バズワード(Buzzword)のようなもので、みんなが簡単に使う一方、すべての人が共通の概念を理解・共有しているわけではない。彼にとってのヒッピーは彼女にとってのヒッピーではないし、これは「フェミニスト」という単語についても言える気がする。特定の人が特定の含蓄や意味合いを込めてカテゴリー化するためのディスコース(Discourse、論説)に近い。HIKARIはEmbercombeで生活してヒッピーになったのだろうか?私は最終的に違うと感じたが、誰か別の人はそうだと答えるかもしれない。

スタッフたちは親しみやすかった一方、常に同じ人、同じ環境と接していることによるフラストレーション的なものも一部で垣間見えた。これについては、大都市の中心でも、ある程度の文明から距離を置く山の中でも同じことなのだろう。長く居すぎると「心地よい楽園」が「終わりのない迷路」みたいになるのだろうか。

 

もちろん数日の滞在では深い部分まで観察できないし、私は月曜からまた会社員生活を続けている。満点の星空を毎日眺められる環境(実家)を本拠に、収入を確保しながら生活基盤を確立できたらなとの思いは強まったけど。

Afripedia/アフリペディア

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アフリカ4カ国(ガーナ、セネガル、アイボリーコースト、アンゴラ)のサブカルの発展具合をとらえたドキュメンタリー「アフリペディア」。概要は英語の下に書きますが、日本からだとあまり見えてこない彼ら目線のアフリカの表象です。
This is one of the highlight from the event “Africa Utopia” at Southbank centre.
It is directed by Teddy Goitom, who has both European an African origin (So called Euro-frican) and two others. (Sorry I only heard about him in the discussion)
The film represents the ongoing sub-cultural revolution and development in Ghana, Senegal, Ivory Coast and Angola. The overall impression was very powerful and positive. All the artists introduced in the film have their own story, their motivation, their obstacles, and their hopes and desires. Scenes of slum were not taken with the excessive manner or the exaggeration of poverty, but like something usual for them. The documentary is created in the way the participants (artists in there) want it to be. There was no crying over poverty or inequality between men and women, or lack of resources to realize ones dream, or any kinds of negative exaggeration which Western (and Japanese too) tend to put in the documentary about Africa. Yes they do mention their obstacles but still show their strength to move forward. Of course this does not necessarily represent the Africa, where the continent is massive and things are more complex and complicated than the outsider like me would think. However, I liked it and recommend you to have a look at their webpage.


各国の芸術家や歌手、ゲイ歌手・ダンサー、BMXパフォーマー、デザイナーなどが、等身大の生活の様子や夢、これまでの背景などを語りながら作品を見せてくれます。全体の印象はとても前向きで明るく、スラムのシーンもネガティブさを誇張したりすることなく、彼らの生活にある普遍的なものとして捉えています。欧米(そして日本)のアフリカ関連のドキュメンタリーって、貧困、性差別、物資不足といったネガティブかつかわいそうといった感情を誘うようなものになる傾向があると個人的には思うのですが、これにはそれが一切なく、登場者が思い描く像が反映されているのだと感じました。もちろん困難について語るシーンもありますが、それでも前に進む勇敢さ(表現する者として必須の要素なのかな)を見せている。これこそが正しいアフリカの姿だとは全く言えないけれど、新たな一面を知ると印象も変わる。日本で上映されるかは不明ですが、ウェブサイトをどうぞ。

Live Tweet-pros and cons-

ライブツイート(Live Tweet)――。講演会などのイベントが開催されている時に起きた出来事や発言を、そのイベントに関連したハッシュタグをつけて中継のように配信する行為だ。日本では論者の発言中に携帯電話を操作すると失礼に見られることもあり、あまり普及していないようだが、欧米ではイベントを盛り上げる手法の一環として広く取り入れられている。Wi-Fiのパスワードを教えたりツイート内容をスクリーンに表示したりといった、促進策を行う主催者もいる。イベントのハッシュタグが付いたツイートが多いと、その地域のトレンドとしてランクインするため、主催者としては成功度合いを図る1つの指標にもなっている。

ただ、このライブツイート。瞬間的な効果しかないのが現状だ。

英語ネイティブならば内容を頭にとどめながら限られた文字数内でコメントを打ち込み、論者のツイッターリンクを添えて瞬時に配信することはそれほど難しくはないだろう。積極的に発信とフォローをしていれば臨場感が生まれ、リツイートやフォローが付けば、売名行為にもつながる。一方、非ネイティブ(個人)としては、この作業が障害になる上、他人のツイートを気にし始めると、講演を聞いているのかツイートを聞いているのかわからなくなる。さらに、後々の利にはほとんどつながらない。イベントのハッシュタグがあれども、検索したとて内容全体を俯瞰できるような仕組みにはなっていない上、何人もの参加者が同時に同じ内容を復唱するので、振り返ると「結局何が言いたいの?」状態になる。短い発言が数十並んだとて、言葉足らずでメッセージとしてのインパクトは欠けてしまう。前後の脈略があってこそ際立つ発言が、むやみに切り取られて言葉の海に漂うのは、なんとも勿体ない。

それでもライブツイートが根強いのは、結局現在のデジタル世代が瞬間の短文に満足して次に進むような層だということの反映なのだろうか?発信したことへの満足、世の中に存在を示したことへの満足、そして短期の成果を良とし、長期継続には至らない。自らも反省すべきことだが…努力と工夫を加えることで、より深いものを伝えるように心がけたい。

News Impact Summit London 2016 ニュース・インパクト・サミット・ロンドン2016

Trolls, Corruption, Falsehood: Reporting ‘Truth’ in the Digital Age

荒らし、不正、虚偽がはびこるデジタル時代に「真実」を報道する意義2016-05-12 16.37.02

The News Impact Summit is held in London for the second time on May 12th, 2016. This is a one day event organized by European Journalism Centre. This year, they mainly focused on reporting on/in digital age, about the biggest financial leak done and revealed with digital development, and the robust increase of online-bullying toward people such as political leaders and journalists. I would like to list the summary of points and comments made during the sessions.

5月12日にロンドンで開催された2年目のニュース・インパクト・サミット。ヨーロピアン・ジャーナリズム・センター主催の1日イベントなのだが、今年は現在も調査が進んでいる「パナマ文書」暴露の裏側や、オンラインニュースサイトなどで情報発信する者にとって新たな脅威や言論の自由の妨げとなっているインターネット・トロルなど、デジタル時代ならではの内容となった。以下に主な論点やコメントを記載する。

 

◆Panama Papers, Data and Investigation 

パナマ文書、データと調査

Panama Paper consisted of 3 million documents which 370 journalists in the world collaborated on investigating for years. It still has not ended, and ICIJ says that “there are still a lot of stories to be told.” By working on Panama Paper, they “created big international news room (Mar Cabra, ICIJ).” This could be done by the development of online cloud and platforms, to share and work together simultaneously in different parts of the world. The data itself was leaked because it was data, not the actual paper.

パナマ文書は約300万枚の書類から成り、世界中にあるICIJ(国際調査報道ジャーナリスト連合)加盟組織から選ばれたジャーナリスト370人が協力して数年にわたり調査を行ってきた。現在も分析は続いており、ICIJは「まだまだ語られるべきストーリーがある」と強調する。パナマ文書の調査を通じ、ICIJ のCabra職員が「国際的かつ巨大なニュースルームを築いた」と自負する裏側には、オンラインクラウドやプラットフォームの発展によってデータ共有や協業が世界各国で行えるようになったことがあるだろう。まず、リークされたのも文書が実際の紙ではなく電子データだったからである。

One of the platforms they used is Oxwall

ICIJが利用したサービスの一つがOxwall

 

There was conflict over time. When Süddeutsche Zeitung, the newspaper which gained the data, wanted to reveal the story ASAP, ICIJ realized they need more time on investigation. Offshore company itself is not illegal, but having it means there is some reason behind or something to hide.

“Data source is like person, it can lie to you” (Helena Bengtsson, The Guardian).

なお、リークから発表までには、最初にデータを得た南ドイツ新聞とICIJの間で葛藤もあったようだ。早く特ダネとして発信したい南ドイツ新聞と、調査に多くの時間を割きたい ICIJ。オフショア企業やペーパーカンパニー創設自体は違法ではないが、所持するにはそれなりの理由があり、資金洗浄や租税回避の可能性もゼロではない。ただ、慎重さは必須だ。

「情報データは人のようなもの、嘘をつくこともある」とパナマ文書の調査を担ったガーディアンの記者Bengtsson氏は語る。

 

◆Internet Bots and Trolls

インターネット・ボットとインターネット・トロル

Some social bots create political discourse and could influence society, create public opinion, create “morale panic”. These are programmed and automated attacks, while there is also so called “Troll’s Factory” which a group of people get organized and manually attack particular personal and its social media. Bots and Trolls can be used as part of propaganda as it spreads positive comment of them/negative comment of opponents.

インターネット・ボット(ボット)が作り出した政治的意図を含む言い回しや表現が広まることにより、社会に影響を与え、世論をつくり、時に「モラルパニック」にも発展する。ボットはプログラム化され、自動的に行うが、「トロル・ファクトリー」と呼ばれる集団がマニュアル的に特定の個人とソーシャルメディアを攻撃することもある。ボットやトロルはプロパガンダとして使われることもあり、例えばある政治団体にとって好意的なコメントや反対派にとって否定的なコメントを量産する。

It is “information chess game with strategy” (Peter Pomerantsev, Legatum Institute in London). “There is media doing journalism while there is media doing only propaganda” (Jessikka Aro, YLE Kioski).

シンクタンクLegatum InstituteのPomerantsev氏は「戦略に裏打ちされた情報のチェスゲームだ」と語り、トロルについて取材・調査を進める上で被害にも遭ったYLE Kioskiの記者Aro氏は「ジャーナリズムを追求するメディアがある一方で、プロパガンダしか行わないメディアがいる」と憤慨する。

 

Political Bots are “the latest and pervasive innovation in computational propaganda” (Samuel Woolley, Oxford Internet Institute & University of Washington).

ボットを研究対象とするSamuel Woolley氏は「政治的ボットは、コンピューターを駆使するプロパガンダにおける最新かつ普及性を持つイノベーションだ」と話す。

2016-05-12 13.41.26

While Facebook is accused of manipulating the flow of information to give advantage on conservative view, Twitter wants to stay away from political involvement. When it comes to the freedom of speech, everyone shuts action like a sensitive issue.

フェイスブックが保守的な情報のネット上での広がりに加担したとして批判される一方、ツイッターは政治的な介入を避ける傾向にあるという。米国では特にそうだが、「言論の自由」を振りかざされると、腫れ物に触るように手が出なくなる。

Responding strategies he provided seemed simple and nothing different from what people do in actual life, such as 1) Don’t overreact, 2) Work to identify origin of attack, 3) Identify attack objective/ target audience 4) Use alternative communication channels.

対処法として、1)過剰に反応しない、2)攻撃の元を特定する、3)攻撃対象を突き止める、4)他のサイトやSNSを使う、などを挙げていたが、結局実生活上で嫌なことをされた時の対処法と大して変化はない印象を受けた。結局のところ、人間の所業なのだろう。

There are cases that the misinformation Bots created got reported by actual news media, because it did not do the fact check. On the other hand, if Bots are used in good way, it could be the “information radiator” with endless opportunity for journalists to use it too.

ボットが作り出した虚偽が、実際の出来事として取り上げられたという恥ずかしい事例もあるそうだ。それは、事実確認を怠ったメディアに責任があるように思うが。一方でWoolley氏は、ジャーナリストがボットを良い方向で利用することができれば、情報拡散ツールとしては無限の可能性があると強調する。

 

◆Trolls, online harassment and women in media

メディア上での女性に対するトロルやオンライン・ハラスメント

2016-05-12 16.18.32

There is an organization called “Trolls busters” which female journalists can report on the online abuses or cyber-attacks happened to them. The organization finds targets of cyber-attacks and support victims through legal entity.

「トロル・バスターズ」という、オンライン上で嫌がらせを受けた女性ジャーナリストやブロガーなどにとっての駆け込み寺がある。この団体はターゲットを特定し、法的措置で被害者を守る活動をしている。

There is a tendency that “sensitive subjects written by female more likely to get blocked comments than men” and “Top 10 regular commentators in The Gardian who are mostly abused are 8 women (of 4 coloured) and 2 men (both Black)” (Becky Gardiner, Goldsmiths University of London).

その背景には、「デリケートな話題を女性記者が書いた場合、男性記者より否定的なコメントが寄せられやすい」(ロンドン大学ゴールドスミス校のGardiner氏)、といった現状がある。また同氏によると、コメンテーターのうち、最もオンラインコメント上で嫌がらせを受ける10人を調べたところ8人が女性(うち4人が有色人種)で、2人が黒人男性だったそうだ。

 

 

雑感:

デジタル社会ならではの新たな脅威があり、新たなサイバー戦争があり、それらへの対処法がある。現実社会では隠されている、もしくは隠そうとする人間の本質的な部分、中傷や怠惰、見えないものへの懸念と恐怖などの感情がバーチャル世界では露骨に表れているのかもしれない。ネット世界の拡大速度は速すぎて時についていけず、知らないほうが幸せなこともある。ただ、これからを生きる者として、バーチャル世界から目をそらし続けることはできない。