Polis blog post (translated ver.)

Polis blog post (translated ver.)

An article below is the Japanese translation of Polis blog about 3.11, which I wrote like half month ago.

Sorry for being such a slow writer.

以前掲載した、3.11に関するPolisのブログ記事を日本語訳しましたのでご査証ください。

更新が遅くてすみません。


「それは日本の出来事で、私は見物者でしかなかった」東日本大震災発生から3年の回顧録

ロンドン市内の小さな教会で2014年3月、“3.11”―東日本大震災の追悼式典が行われた。春の暖かな日差しが差し込む中、参加者は当時の光景を思い出し、死者や生存者に祈りを捧げ、被災した東北地方の方々への思いを込めてチャリティソング「花は咲く」を歌っていた。

3年という月日は、私たちに何かしら達成させてくれる半面、3.11の悲惨な光景や思い出を霞ませてしまう。国際メディアは今や、主に福島第一原発事故後の状況や関連デモにばかり焦点を当てている。放射能の「見えない恐怖」はメディアによって拡大され、ネット上に広がるニュースサイトやブログの一部では、千葉の石油コンビナート炎上事故の写真があたかも福島第一原発事故の写真として誤掲載されているほどだ。

その一方で、日の目こそ見ないが、人々を元気づける震災関連ニュースもある。一般財団法人国際開発センターの調査によると、被災後1年間で計174か国から物資的、資金的、人材的援助が届けられ、うち119か国は日本のODA受給国、35か国は後発発展途上国からであった。

心温まるストーリー

外務省のある報告は、震災後に被災地で素晴らしい活躍をしてくれた南アフリカやインド、トルコ、イスラエルを含む国際救急チームへの賛辞を掲載。発展途上国の人々が被災地に赴き、地元の人々に支援物資や食料を配ってくれた、というような心温まるエピソードは、数え上げればきりがないほど。世界第3位の経済大国、日本はいわゆる「第三世界」からの援助を受けるべきではないという意見もあるだろう。だが、天災が発生し、人々がそれぞれの手段で思いやりを示してくれている時に、そのような比較論を押し付けるのはおかしいと私は言いたい。

私の出身地は震災の被害を受けなかったが、私はまだ地震発生の日を覚えている。

人や家、車、船、木その他全てが津波によって海に飲み込まれる様子。テレビで放送されるそれは、現実というより映画の光景に近かった。

苦しみの見物者

それは日本で起こっていて、私は見物者でしかなかった。ニュースを探して被災地の状況を把握しながら、奇妙なことに、平和な「私たち」と悲惨な「彼ら」との距離をも感じていた。あの日から私の勤める地元紙は、募金活動をして被災地を訪れる県内NGOやボランティア、富山で新たな生活を始める福島からの避難者、被ばくを恐れて外で自由に遊べない福島の子供たちのためにツアー計画を立てる地元団体などの様子が面を飾るようになった。

昨年3月に被災地のひとつ、宮城県石巻市を訪ねた時は、「2年後」であるはずの現状が心を揺さぶった。3.11後の被災地のニュースは特定地域を選んで取材するものが多く、全ての地域に光が当たるわけではない。石巻の2年目の復興は思った以上に遅れていた。

石巻へ続くローカル線は未だ一部修復作業中で、代替バスが乗客を目的地へと導く。以前の住宅地はまだ、崩壊した家やガレキ、木々などが広がる空虚なエリアでしかない。数々の校舎がひどく損傷しており、二度と使われることはないだろう。ある学校は「感謝」、「いまから、ここから」という垂れ幕を下げることで被災者の思いを代弁していた。

散乱したガレキの中、海水と腐敗した魚の強烈な臭いに囲まれながら私は足を進めた。そして、この不気味な雰囲気を心の中で拒否している自分に気づいた。帰り道に乗ったタクシーの運転手が教えてくれた。「被災した海岸付近は今、住むことが禁止されていて、丘の上に新たな住宅地を建設している。いつ移り住めるかはまだわからないけれど」。

失った生活

この3年で、被災地支援は緊急時対応から心のケアへと移り変わった。3.11後に設置された各地域の臨時災害放送局は閉鎖し始め、持続を希望する局は財政難に陥っている。3.11関連のビジネスや旅行が地元経済の復興を支え、旅行パンフレットには「復興屋台村を訪ねよう」「タクシー運転手が語り部となり、被災地を巡ります」「被災地での週末ボランティア」などの文字が並ぶ。福島の立ち入り制限・禁止区域ですらも制限の度合いを緩め始め、除染作業も少しずつではあるが進んでいる。地元の人たちは失われた生活を取り戻そうと努力を惜しまない。

だが、復興状況を語る日本の政治家たちの言葉に信憑性はあるだろうか?安倍晋三首相は国際オリンピック委員会の総会で、2020年のオリンピック誘致に向けて日本は安全であるという印象を残すため、「(福島第一原発について)状況はコントロールされている」という発言を残した。この発言に続いて「特定秘密保護法」が制定されており、フリーランスや外国人のジャーナリストたちにとっては(記者クラブの存在等によって)福島第一原発関連の情報収集に制限がある。結果的に、2014年の世界報道自由度ランキングは日本を59位に据えた。以前はトップ20以内に位置した国であったのに。

震災生存者たちの間では今、オリンピック開催に向けたインフラ整備が主要課題になることで、被災地への支援が減ってしまうのではないかという懸念が広がっている。国内での見方は分かれており、オリンピック開催は復興を促すという意見の一方、政府の関心が東京に集中することで被災地と避難者への配慮が減ってしまうという意見もある。

私にできることはこのブログを書き、現地の人たちを思い、そして石巻の街に立ち込めていたあの強い海水の臭いを思い出すことくらいだ。

今でも訴えてくる。「忘れるな」と。

POLIS blog posts 「POLIS」への投稿

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I have contributed two blog articles for LSE think tank [Polis] organized by director Charlie Beckett and interns from the media and communication department.

One is the review and comment of public lecture done by Brandon Paddy, head communications at the Disaster Emergency Committee (DEC).  You can read it from here.

The other one is the memorial article in regard to the three-year anniversary of 3.11: the Great East Japan earthquake. you can read it from here.

メディア・コミュニケーション学部内のシンクタンク「Polis」に2件のブログ記事を寄稿しました。Polisは学部長であるCharlie Beckettと学生らによって運営されています。

1つはDisaster Emergency Committee (災害緊急機構と言えばよいのか…)のコミュニケーション長であるブランドン・パディー氏による講演。

もう1つは東日本大震災から3年の節目に際して、私の経験や国内外の報道内容などを交えた文章となっています。いずれも、英文の「here」にリンクを張り付けました。